大正時代の店舗写真

安永年間(1772年~1780年)創業。嘉永2年(1849年)現在の新富町に移転し、代々足袋を作って参りました。
明治5年(1872年)にこの土地に新富座が、また明治22年(1889年)には木挽町に歌舞伎町座が出来、その後、5代目福太郎の創り出した新富形の足袋が、大野屋の名を広く世に知らすところと なりました。
現在も一人ずつ足形を採っております。
又、足袋の他にも和装肌着やハンカチ、湯上りなど独自の色と柄の和装雑貨を製造しております。

現在も歌舞伎役者や舞踏家、能役者などの多くの役者たちに愛されている当店の足袋。
履きごごちの秘密は、永年の経験が活かされたその形にございます。
当店の足袋は、足が細く、小さく、きれいに見える様に底を狭くとり、爪先をふっくらと丸く仕上げた、いわゆる新富形の足袋。
そのしるしにこはぜの一枚には「新富町大野屋」とございます。誂えの足袋はもちろん一足、一足形を採って仕上げをいたしております。

特別誂え足袋の他にも

「細」・・・特別に細い足袋、
「柳」・・・細めの普通足袋、
「梅」・・・やや甲高の足袋、
「牡丹」・・・特別甲高の足袋と、

同じサイズでも巾の細い足袋から広いものまで色々と用意し、ぴったり合う足袋を選んでいただける様にしております。
お誂えの方には、こはぜに名前を入れるサービスもございます。

足袋のできるまで